読書日記

しがない元・情報大学院生女子、現・企業研究者の日記

七月xx日 千回の負け

日記を書きつつ、競技かるた歴を振り返ってる懐古厨な日記です。あんまり前向きじゃないです。

 

七月xx日 

未来日記

論文を書かないといけないという気持ちがあるが、競技かるたの合宿を普通に楽しんでいる自分がいる。


現実日記

 朝起きたら8時半だった。合宿なんだからそれは当たり前なのだが、起きたら人がいるのが不思議で、目が開いてない状態で昨日の食べかけのお菓子や、お酒の缶などを片づける。普段なら自分の身なりだったり、誰かの地雷を気にするのだけど、ここまできたらどうでも良くなっていた。もうすっぴんも見られているし。一軒家パワーはすごい。

 一通り片付けて、コンタクトレンズを入れて、化粧をした。顔がパンパンだろうなとか思いつつ、笑顔の作り方も忘れて、家のオーナーさんに写真を撮ってもらう。こんな大学生みたいなこと、大学生の時にやっておきたかった。今言っても仕方ないけれど。そこから公民館に移動してかるたを一試合取った。相手はB級の後輩の女の子だった。途中から相手がいないような、そんか感覚になって、昔を振り返りながら、一枚一枚取っていた。

 

✴︎✴︎✴︎

 競技かるたの出会いは十六才の秋だった。四月から文芸部で物書きをしていたが、部員の多くが見ているアニメや漫画、ラノベのコンテンツを家で見る術がなく、どこか別の世界のように感じていた。そのコンテンツの話ができないから、部室のプレハブ小屋で4STEPという解説書のない数学の問題集を解いていた。涼宮ハルヒというものが流行ってるらしいと、親の目を盗んで深夜にアニメを見たけれど、毎回毎回同じシーンが繰り返されていたので諦めた。*1

 同じ時期の八月、文芸部に迷い込んだ女の子がいた。小さくて可憐なその子は競技かるたをやっていた。見た目とのギャップにびっくりした。同学年の部員が二人しかいなくて、先輩が引退したら団体戦に出られなくなる。そして、団体戦に出るためにあと一人必要なのだと。後から気づくのだが、競技かるたの団体戦は通常は五人チームで、三人だと三人とも勝たなければ団体戦としての勝利にならない。三人は必要最小限、その出場資格がすらない弱小チームだった。

 競技かるたのルールを聞き、早く取れる札と音を何文字も待たないと取れない札があるということはわかった。競争など向いてない性格なのは自分でも知っていた。競技に惹かれてたのではなくて、彼女の必死さで入会してしまった。とにかく近江神宮という場所でやってる団体戦に出たいらしい。

 三人で強くなると決めて、練習をし始めた。札の決まり字を覚え、札の払い方を学び、札の定位置を決める。試合をし、札を飛ばして、元に戻して、時々札を相手にあげて、それの繰り返し。盤面には五十枚の音が違う札があるだけ、二十五枚取れば勝てるというそのシンプルなゲーム。ただそれだけだった。

 三年の先輩が強く、県大会の代表になって、彼女の言っていた近江神宮で行われる団体戦に出られた。同期の二人だけが正規メンバー入りし、私は補欠でその試合を見ていた。二人は順調に強くなって昇段していくけど、私はとにかく勝てなかった。お手つきを繰り返して、二十五枚とっても勝てないゲームに自らしてしまう。そんなこんなで、高ニの春にはやめようと思っていた。転機が欲しくて生徒会に立候補したら、ラッキーで入れそうになってしまった。顧問の先生に引き止められて、進路指導室で相談会をした。

 先輩が引退して、かるた部で三人しかいなかった。それが致命的だった。部費がないので自動読み上げ機(ありあけ)がなく、毎日一人が詠んでいた。二人が取って、時々先生も混ざるみたいな日々。三人以下というのは、練習が成立しなくなることを意味する。どちらを取るか?と顧問の先生に聞かれた時、生徒会は辞退した。

 今から考えたら生徒会で仕事していた方が楽しかったのかもしれない。生徒会の仕事なら、負けの意味を考える必要などないし。競技というものは、良い意味でも悪い意味でも勝敗がある。二人の部員をスカウトし、なんとか五本揃えた高三の五月、県大会の決勝戦は負けた。私が戦犯だった。軽微なミスを繰り返して、十五枚差で負けた。そして、親に言われてその試合で部活を辞めた。*2

 大学に入ってもう一度かるたを頑張りたくて、大学のかるた部に入会した。二年経ってやっと初段が取れたが、勝率が一割以下なのは変わらなかった。みんながとんとんと昇段していき、迷ってるうちに進路変更と大学院進学が始まり、なんとなく選手登録をやめ、県協をやめ、サークルを卒業し、かるたをやめた。

 一番若くて活力のある時期に、週に十試合、年に一二〇試合を十年弱続けて、私は九割負けている。その結果を記録したノートだけが手元に残った。

 

***

 あれからもう数年が経って、今日、またかるたをとっている。一応十年もやっていると、決まり字も定位置も覚えていた。それを思い出す作業は、まるで昔の友達に会うようだった。いろんな代表から漏れた日、決勝戦で負けた日、何気ない練習でかるたで、ボコボコにされた日…….、思い出したのは、自分が負けた時のことばかりだった。

 もしあの小さな彼女に誘われなかったら、諦めて生徒会に入ってたら、この1000回以上の負けを知らなくても良かったような気がする。手を出してミスをするくらいなら、手を出さなくても良いのではないか、中途半端な取り方をして、相手と言い争うなら*3、座ってるだけの方がいいのではないか。そうやって最後は覚悟を持ってやめたのに、またかるたを取ってるのはなぜなんだろう。好きな「ゆうされば」の音が聞こえて、綺麗に払ったとき、この競技を好きな理由がわからないと思った。かるたよりも、文芸部でやっていた創作活動を続けていた方がいろんなことを書き残せたし、中学生までやってたピアノも続けていたらもっと難しい曲が弾けたはずだった。手を抜かれてることを感じたり、同期が大会のトーナメントに残っていて帰れず控え室で4STEPを解いたことも思い出した。そんなこと、多分経験しなくて良い悔しさのはずだ。形に残らなかった負けの意味を今も探している。

 

 今回も十五枚くらいで負けた。いくらでもキッパリと辞めるタイミングはあったのに、またここに戻ってきてしまった。涼宮ハルヒエンドレスエイトかよ。三十歳になってしまった今、これから何に時間を割くのが良いのだろう....という昔を振り返りながら、筋肉痛に苦しんでます。

*1:後から知るが、涼宮ハルヒエンドレスエイトのクールだった

*2:大学受験の結果はどうだったかというと、大学受験を理由に五月に部活を引退したのに、志望大学全部すべるというアホなオチだった。大学受験を理由に当時の片思いも片思いのままにしてしまって後悔してるので、告白はちゃんとした方がいいですね。

*3:競技かるたでは、相手が取ったか自分が取ったかで意見が合わなかった時、話し合いで取りをきめる